お
今日はおっぱい。
おっぱいについて
おっぱい。いかにも文字にして連発すると気持ち悪いおっぱい。
おしりに気が揺らいだ日もあったりするが、過半数以上おっぱいの方に気がいくのでおっぱいにする。
そう、おっぱい派の人間だ。
なんで、どっちも「お」から始まるようにしたんだろう。
ざっくり昔の日本人の感覚で、エロいものにはおから始めようと決めたんだろうか。
きっとお尻派の人はお尻におっぱいとつけたかっただろうが、
多数決でおっぱいにおっぱいと名付けたい人が多いために泣く泣くお尻で手を打ったんだろう。
その会議の後に尻という名前しかなかった尻に、
「せめてものの!せめてもの!おっぱい同様尻に『お』をつけてお尻にしてくれ!!『お』があったらエロい!!たのんます!半沢はん!!『お』つけてくれへんやろか!」
「わかったよ。しょうがないなぁ」
という経緯があったであろう。
なぜ、おっぱいが好きかを聞かれるとよくわからない。
子供の時は触りたいとかその他いろいろの夢があった。
男にないものだし、女性はおっぱいのことに関して、恥じらう一面がある。
その「見てはいけない、知ってはいけない」的な禁断の要素が駆り立てる。
しかし、大人になって、こんなもんなんかと。
『えっ!!!??味ないん?』とか
『なんかこの柔らかさ、目瞑ったら、市販とかで買える柔らかいやつと一緒やん!』
と幻滅したものである。
しかし、今でも好きだ。
おっぱい。
なぜだろう。
結局、おっぱいに帰ってくる。
谷間を降りても、また元の高さに登ってくる。
U
おっぱい。
今でも例えば電車の中でチラッと
(おっぱい)というワードが出てきたら
そのページ(タブ)は残しておいて、ゆっくり1人で過ごせる時に
ちゃっかり、しっかりと、後でどんなものか確認する自分がいる。
老人のワンカップのように、一滴も残さず、(おっぱい)と書いてあるページを開く。
菅田将暉の間違いさがしの歌詞のような
「なぜだろうか」と思う。
菅田将暉の涙が出ることのように
「なぜ〜だろうか?」と思う。
結局はおっぱいの玄関に靴を揃えて
素足で入っている。
わからないが、好きなんだ。
ごめんね。
おっぱい。
君が好きなんだ